当時、DTVと呼ばれていたノンリニア編集機1台と、ソニーのDCR-VX1000というDVカメラ1台で始まった。
活動のきっかけは、ある自主制作映画のロケハンのメイキング映像と、そこに写ってた奇妙な「靴洗い」という歌をケータイの録音機能で
吹き込んで作った一人の男だった。
<文章と画像セレクト・・・ギガさん(演出/制作/技術)>
2003年から活動。早10年目。
2003年 「MAKING 主人公が住んでいる街のロケハン」
当時クラスの友人4人と自主映画を作ろうとなって、アニオタで脚本を担当したY氏のシナリオを基に、ロケハン(=ロケーションハンティング)をするため、12月25日のクリスマスの日に下見に行く事となった。
その時のメンバーは、私ギガと、メンバーの中でも大人だったM氏に、
当時CGデザイナーを志してたFreedom氏の3人。
まだ再開発されていない西鹿児島駅(現・鹿児島中央駅)周辺をブラブラして、脚本に書かれてた主人公の設定に合いそうな場所を探してた。
1時間ほどブラブラするのも疲れて、線路沿いにある公園へと立ち寄った。
そしてその公園へ2年後また立ち寄る事となることも知らずに。
その公園で、当時まだ田舎のヤン風で垢抜けないFreedom氏がケータイに奇妙な歌を
吹き込んだことが10MhzChannelの前身妄想サミットの活動のきっかけとなった。
2004年「Katsuo24」
題名でお分かりのとおり、当時、ER以降久々の海外ドラマ旋風で、
なかでもキーファー・サザーランド主演の「24 twenty four」に影響されてこの題名になった。
様々な映像が出るフィルムウィンドウやタイム表示など本家に寄せてたが、
肝心の中身はというと、カラオケボックスで猥雑な歌を歌ってフルスロットルでアホになる、という内容だった為、演出を24に寄せてたのも最初だけだった。
学校のそばにあるカラオケボックスなのにガブガブのスパスパ。
ひとつオトナの階段を登った、twenty-zero-fourの春の日。
当時、というか今でも×したいと思っている生徒指導どもにFreedom氏が、タッチの主題歌を
歌った終わりに即興で起こしたビートを刻んだリリックは今でも心の中に響いている。
Freedom氏は翌日体調を壊し学校を休んだが、私の手で編集した映像をDVD-Rに焼き、
仲の良いクラスの連中にそれを配り、評判が良く、彼は一夜にしてクラスの人気者に。
個人的にこの年は散々だった。当時制作会社で働いてて、3Dアニメの企画が通り、
制作を始めようとしたとき、ある奴が金に目がくらんで社内クーデターを起こしたがためにパーになった。
私怨で申し訳ないが、信頼失った事もあったので地獄に堕ちて欲しいと心底思う。
2005年 初めてのハイビジョン制作
「峯藤川智平 360℃ Look at from another angle」
題名がクッソ長いし、シャレオツ感出しまくりの英語の副題に赤面の自分・・・
奇しくも、2年前の同じ日の12月25日のクリスマス。
内容は映画本編とメイキングが織り交ぜた内容で、トピックとしては当時はまだアナログ放送が主流だったときに、ソニーの業務用HDカメラで撮影したことと、今では放送業界でメインツールとなっているHDDekoと呼ばれるテロップ制作機をいち早く取り入れた事。
このときに私ギガとM氏とFreedom氏に加え、新たにゲーマーの弟とキミシグレが初登場。
映画の内容はカストリ雑誌の記者をしているゲーマーの弟ふんする一川宗久が、
巨大なカルト教団の代表富士咲の裏の顔を暴くサスペンス映画。
雑誌編集部に見立てたダイエー8階のロビーや2年前に訪れた線路沿いの公園で大暴れした。
ゲーマーの弟が大フューチャーされた回だった。
2007年 「妄想サミット 映画を作ろう」
2005年のシナリオを引き継ぎ、映画をまた撮る事に。
今まで駅周辺でのロケだったのが、キミシグレの車購入で初の遠出ロケ。
中央駅からおよそ55キロのところで撮影を敢行。
そのロケ場所は見晴らしのいい展望台、そして海岸、ハイソな街と設定のすべて
いい条件であった。天気だけを除いて。。。
夜のドライブで海岸側のローソンだったり、わいわいした一体感のある今回のロケ(旅)は、
今までの中で一番の思い出に残り、国道10号線を通るたびに思い出す。
2日目は鹿児島市の友人Y氏とT氏。途中道具を取りにキミシグレの実家へ。そこでゲーマーの弟の新キャラ「ロシアンマフィア」誕生、そして悪戯な写メの嵐。吉野公園へより警ドロをした。
豊富な武器を所持する警察に対しドロボウは当然ロシアンマフィアひとり。その後ソテツがたくさん植えてあるまるでアフリカの砂漠に生えてるバオパブの木のような所で、資源強奪で4人の国連軍から追われ射殺される中東マフィアのような形で幕を下ろし、今度は国連軍がマフィア化。その後はお分かりのとおり多勢に無勢。誰一人捕まえる事ができず、未だ決着には至ってない。1泊2日ロケで番組の総尺なんと3時間・・・。
2007年~2008年
「サントワマミー再来」「リーマンショック」
■「サントワマミー再来」
密かに流行ってたサントワマミー。歌はゲーマーの弟。
ザ・シャンソンの越路吹雪ver.がしっくり来ず、ロックにアレンジされた忌野清志郎ver.が、あの歌うときに声色が突然変わる野太い声にとてもマッチしていた。
■「リーマンショック」
ノープランでキミシグレにやりたいと言われてやった。
小ネタの応酬というボリュームだけの内容に。
この日は何がしたかったのか俺には理解できなかった。
2010年 再開発の年
「創作料理」「自転車泥棒を捕まえろ!!」
■「創作料理」
T氏が作る、残飯での創作料理を居酒屋で味わうゲーマーの弟。
醤油をべったりつけてて、まずいとは一言もいってなかった。
わさびを入れすぎて辛いといってた。まずいとは絶対言ってなかった。
「ワンスプーンのスタミナ定食」そして、ホタテの汎用性。色々勉強になった。
■「自転車ドロボウを捕まえろ!!」
友人数人とで天文館で飲みに行ってゲーマーの弟が泊めてたチャリが無くなってた。
血なまこになりながら探すが見つからず。。。ゲーマーの弟の精神状態はヤバい方向へMAX。
仲間を殴り、暴言を放ち、駅の方向へ向かうと丁度パチンコ屋のまえでゲーマーの弟の自転車を乗り捨てようとした犯人を見つけた。
犯人へ飛び掛るゲーマーの弟。その様を見て引く警備員。
どさくさに仲間の胸ぐらをつかむゲーマーの弟、その様を見て引く警備員。
きっと犯人は身近に居るやつに違いない。。。
2011年①
「熊本旅行」
熊本城を目的にゲーマーの弟と熊本で1泊2日の旅行をした。
午前熊本城、そして午後に近場にあるアーケード街を散策するために、
アーケード側の駐車場へ泊める事に。さすがに近場は空いてないだろうと思ったが、
これが意外とどこも空いていた。そしてその一帯には40分13000円とか60分20000円とか
時間単位でべらぼうな値段の看板があちこちにあった。
すぐに駐車場が空いている謎は解けた。そしてそこいらへ駐車し工事中の道路を横切ろうとしたときに、警備員が「こっちからどうぞ!!」と妙なテンションで警備員の言うがまま道路を横切り、最後に「御気をつけて!」と言った。いろんな意味での「気をつけろ」なんだろう。
街をブラつき、うどん食べて、街をブラつき、疲れて宿泊先のアパホテルへ。
妙なニコニコ対応のフロントマン2人。
ちょっぴり嫌な思いをした旅だった。
2011年②
「しし肉そばと温泉」 「妄想広報」
■「しし肉そばと温泉」
私はこのロケの日は具合が悪かった。別に病気とかじゃなくて、
後輩のイタメシバーで開店1周年を祝い食った飲んだで、私はビールピッチャー2杯にグラッパ、マールとグビグビ飲みすぎたがための二日酔いだった。
そのため牧場へ向かう道中ゲーゲーしないか心配だったがセーフ。
ゲーマーの弟がおばあちゃんにナンパしようぜで始まった車内の猥談の数々。
お蕎麦と温泉に浸かりとても心身ともにリフレッシュできた。(なんじゃそれ)
■「妄想広報」
元ネタは、政府広報。記憶に残るように過激に作られたCMが多く見ていた視聴者を震え上がり、様々な都市伝説が生まれた。そして現在でも2000年代からの動画サイトで怖いCMで名を轟かせた「キッチンマザー」を始めとする抽象的な啓発広告が多く知られるようになった。
(実はCMマニアでもあるんです。<ギガさん>)
2011年③
「懐かしのアーケードゲーム 第1弾」
今までの中で、人様に評価を得た番組のひとつ。
そして8ビットの兄が初登場。さすがその類の知識とメカの造詣の深さが出てた。
自分ギガさん、8ビットの兄、ゲーマーの弟で、初めての指宿へのロケ。
指宿いわさきホテルのゲームコーナーで遊んだ泊った。
アウトラン・アフターバーナーⅡ・トップランディング・IDYA・スペハリなどなど、
体感アーケード黄金時代を築いたメンツがこんな近くにあるとはと、その時はしごく興奮したものだ。スペハリが故障中だったものがちょっと心残りだったものの、3時間ぐらいそこのゲームコーナーへ遊んだな。
そして夜の中華屋と、くしくもその日は花火大会で大いに盛り上がった。
2012年① 10MhzChannelに名称を変更。
「懐かしのアーケードゲーム 第2弾 4部作」
妄想サミットを発展的に解散し10MyzChannelとなった門出を祝うカタチとファンの要望で
今作を最初に配信。2度目の指宿いわさきホテルでゲームコーナーへ。
このときもスペハリは故障中。。。
もっとここのゲームコーナーの筐体を特集しようと以前取り上げなかったゲームも含めて特集。
結果、4作のボリュームになった。
ここからカメラも業務用HDビデオカメラになり、感度と画質も向上した。
2012年②
「軋轢仮面」
晩頃、ゲーマーの弟、キミシグレ、セドル、私ギガさんの4人で、焼き鳥の旨い居酒屋で、
飲み食いしてて、電車まで少し時間があるということで、鹿児島中央駅近くの共研公園と
いうところに行き、私がたまたま持っていたサイバーショット(HX5V)で公園の垣根に設置した
足元しか照らせない街灯を照明に撮影。
その時に何を思ったのか、キミシグレが100円ショップで購入した銀色の仮面とピストルを持ってきていて、私がゲーマーの弟にその仮面を顔につけさせピストルを持たせ、
拳銃をカメラに向けて決めゼリフを言わそうと、私ギガさんはなにを思ったのか、
数珠繋ぎのようにキーワードをその場でひねり出そうと公園側にあった
産婦人科の看板を見て、まず「生まれるよ」。
ピストルをカメラに向けるということは誰か標的に向ける意になる。
撃つと死ぬか重傷を負う。撃ったやつはかならず誰かの標的になる。
これは「軋轢を生む。」・・・・・・・・・・!!!!!!
「生まれるよ!軋轢が!!!」。これだ。
2013年①
「懐かしのアーケードゲーム3 4部作」
2011年からこのシリーズも3年目にしてシリーズ第3弾。
指宿いわさきホテルのゲームコーナー「ジャングルジャングル」の方に
レトロゲーマーや我々の声が届いたのか、
ついに!ついに!!スペースハリアーのムービング筐体が復活した。
狂喜乱舞・阿鼻叫喚はまだ続き、ファイナルラップにバーチャレーシングにチェイスHQと、
私の大好きなレースゲーが続々と復活した。
そして今回から、セドルのナレーションを入れる事により、前編のスペハリ復活までを
スリリングに演出することができた。
2013年②
「父と息子」
息子(25)が会社をクビになり、夕暮れの桜島を一望できる高台の公園で落ち込んでいるところ
ケータイにでない心配した、銀色の仮面を被った職業不詳の父(61)が、息子のいる公園に行き
元気づける3分間のハートフルショートムービー。
エスビー食品のハピファミカレーのオリジナル動画コンテストの出品用に制作された、
ショートムービーである。
この時期にウェスアンダーソンの映画を見ていてその影響から、映画特有の大きな展開などなく、とりとめのない会話で雰囲気をほっこりさせるミニシアターのような作品に仕上げた。
FBいいね20に中国人の方からベタ褒めのメッセージを頂き、エスビー投稿ページには高評価を頂いた。